片淵太郎さんからのコメントです。
片淵さんありがとうございました。(^-^)
片淵さんのコメント通り、確かにヨッセ、ヨッセは違いますよね。
そうですね、僕ら麹屋町はヨヤセ、ヨヤセですもんねー。(^^;)
中途半端にかじっている人が解説するとそうなったりするのかも・・・。
ご意見ありがとうございました。(^ー^)弘充
以下コメントです。
皆様、素晴らしいくんちをありがとうございました。
今年は、本当に最高のくんちでした。
三歳の長男、一歳の次男、二人を抱き上げて船廻しを何度も見せてもらえて、存分に楽しませてもらいました。
以下、遅くなりましたが感想などを書かせて下さい。
あれは前日の前の日、夕暮れ時の諏訪神社に長男次男と三人で行ったときのことです。
踊り場に着いたところで、長男は乳母車をぐるぐるぐる…、アーッ!階段落としが勢い良すぎて階段から乳母車ごと電車通りの方へあわや転落。
周囲の人たちとともに冷や汗。(^_^;)
その後、長男が長坂を上りたいと言い、73段を数えながら畳んだ乳母車を持ち、次男を担ぎ、長男の手を引き上がりました。
手水鉢で手を洗い、十分ご縁がありますようにと、15円お賽銭を入れ、お参りを終えました。
すると、何とも早いご利益が。
僕らが参ったと入れ替わりに賽銭箱の前にすっと立たれた方の後姿を見て、長男が大きな声で言いました。
「あ!麹屋町!ほらほら!」
麹屋町さんの白Tシャツ姿の方でした。
お顔を拝見すると、見覚えのあるお方。
「長采の方ですか?」とお尋ねさせて頂きました。
HPのメンバー紹介でお顔を覚えさせて頂いておりましたので、ピンポーン!です。
長男は家の中で洗濯籠をぐるぐる廻しサランラップの芯を采にして振り下ろしているので、
正にヒーローとの遭遇です!
握手してもらいました。(^-^)v
長采さんも、HPに載せてもらった長男に会って、びっくり!されていました。
しばらくくんちにかかるお話をして下さって、三日間の見物作戦が煮詰まりました。
ありがとうございます。
そんなこんなで、一夜明けて前日。
まだ薄暗い中、花火の音が寝床にいる僕の耳にも入りました。
あの花火は五時半ごろだったのでしょうか。
6.55からNHK教育テレビで生中継、そして7.00からは越中先生ご出演のNBC生中継、
先ずはご飯を食べながらテレビで見物です。
長男、次男も起きてきました。
八幡町さんの祝い船も盆前に公会堂やお諏訪さんで見せてもらったので、お囃子の音が心地よく、
船が廻る様もテレビ画面に楽しく映りました。
二日前にS東美前の電車通りで龍船がぐるぐる廻るのに出会った長男は
「恐か!恐か!…」と目を伏せて僕にしがみついていたのですが、テレビ画面のそれは面白いようです。
麹屋町さんは8時半集合の9時半出発と聞いていた(聞き違いだったことが後に判明)ので、
テレビもそこそこに支度をして長男次男と三人でタクシーに乗り込み麹屋町へ向かいました。
しかし、到着した麹屋町は、何だかがらんとしています。
そこにいたおばちゃんに聞くと、船はもう出たとのこと。
どんな経路なのかを聞くと、「そこのタバコ屋さんを曲がって真っ直ぐ行って…。」
なるほどと歩き始めると、何のことはない、路面に足跡、いえ、鉄輪の跡がちゃんと付いていて、
進路を変えたところは丁寧にその様子まで跡が付いているではありませんか。(^-^)'
ということで、しばらくして日銀前で待機中の川船を発見。
添采さんと長采さんが気を利かせて下さり、写真を撮って下さいました。
前日本番前の緊張されている時間にありがとうございました。
写真に少し写っている総監督さんの表情は、少し気忙しいような。
すみませんでした。
長男は、この写真の総監督さんを指して「総監督さんねぇ。」と何度も言います。
さて、ここからが親子三人でのくんち見物の本格的な始まりというところでしょうか。
前日にお諏訪さんまで来て川船の船廻しを見ずに帰るのはあまりにも悔し過ぎます。
切符はないけど、とにかく、行けるところまで行ってみよう。
境内に上がりましたが、長坂の頂上が満員なのはもちろん、桟敷に入れない人達があちこちから龍踊りを覗き見しています。
(ピーピング・トムの集団か?!)
どこからか見えるところはないかと探し回った末、龍踊りの最中に立見席(川船の左舷前方遥か彼方)に入らせて頂くことが出来ました。
あー、よいよい。
そして麹屋町さんの傘鉾登場。
このとき、運良く抱きかかえる子どものみならず僕もちゃんと見える状態になりました。
麹屋町さんの晴れ舞台、船が正面向いたときは、僕も感激しました。
皆さん、少し硬くなっていたように感じられ、僕も緊張しました。
勢い良く船が前後すると、「おー、これが麹屋町の川船かぁ!」と感激も増しました。
去る八月十日、歴史文化博物館での練習を見学に行ったものの、練習場所にたどり着けず、
この諏訪の踊り場で麹屋町さんの動く船を初めて見ることになったのです。
おー、…ヨイヤー!
突っ込みをやると、どよめきが起こります。
この観衆の中、メリハリのある船の動きに酔いしれました。
龍踊りのとき場所を換わってくれようとしたお兄さん、
川船終わって家族そろっての写真を撮ってくれたカップルさん、
荷物が桟敷の隙間から落ちないか見ていてくれた桟敷委員会のお兄さん、
皆さんありがとうございます。
各テレビニュースでは、五回半廻しを盛んに評価されていたそうです。(お留守番の家族談)
NBCの番組では、船廻しのときに「根曳きは22人、交替はありません!」とアナウンサーさんがバシッと言いました。
少数精鋭を強調されていました。
一人でもへそ曲げて来なくなると困られるでしょうし、和を大切にされたことかと存じます。
前日のくんち見物は大忙しです。
お諏訪さんで麹屋町さんを見た後、長崎駅へ。
八幡町さんの祝い船が(皆さんがご飯を食べるからって)一時間遅れて午後一時にぐるぐる、
間髪入れず、西浜町さんの龍船がぐるぐる。
「おうち帰る!絶対おうち帰る!」
長男は龍船が恐いのです。(^_^;)
次男を団扇で扇いでくれたおばちゃん、ありがとう。
それが終わるとタクシーでうちに帰って遅い昼ご飯。
そして、またタクシーで長崎駅へ。
電車通りは桜町辺りから駅前まで渋滞していて、定刻の4時ちょうどに駅に着きました。
川船を見逃したらどうしようと少し思いましたが、遅れるだろうなぁ、との予想が当たりました。
「今、文明堂前です。」のアナウンスが流れたら、「さっきから動いとらんやかね。」との声が。(^_^;)
その後ニュー長の前を通ったとのアナウンスに会場は沸きました。
16.47役員さんが現れ、5分後に川船が入場しましたー!
しかし、ちょっと文句言いたくなりました。
スピーカーで余計なことをずっとしゃべられるんです、司会者さんとゲストさんが。
演技中は「ヨッセ、ヨッセ…」とか「廻れ、廻れ~」とか。
そういうのはやめて欲しかった。
それに、演技前から「もってこーい」って、それ、おかしかろう?!
帰るところでもないのに、ぜーんぜん分かっとらん人が司会して場を仕切ると、こうなるのかなぁ。
残念。
時間も押してたんでしょうか、もってコイで戻ってこられたのは1回でしたね。
お諏訪さんに遅れるわけにもいかないでしょうし、と勝手に解釈していました。
ホン、ホン、ホーンと鉄輪の音がアミュ広場にこだましました。
僕ら親子はとても運良く、シート際に立たれたおばちゃん二人連れさんの後だったのですけど、
おばちゃん達はとても親切にして下さって、長男を前に出して下さったり抱っこして下さったり、
お陰様でちゃんと観ることが出来ました!
サー、ヨーイヤサ!と庭先回りされたホテルクオーレさんでバイキングの晩御飯食べて、もう一度お諏訪さんへ出発!
くんちのゆうべ(って、いつからあるとかな。)
辺りは真っ暗になったお諏訪さんの階段を電車通りから急いで上がり、朝と同じ立見席へ。
今度は提灯が明るく灯る川船、鯉さん達が三連灯の下で活き魚になっていました。
また、川船の飾りや根曳きの衣装が水色で品良く映えていました。
そして、今度は皆さんに朝から回数を重ねてこられたからか、船が出てきた瞬間から余裕が感じられました。
突っ込み、廻し、どれもバッチリです。
さぞや皆さん気持ちよく廻されているのだろうなと、感じました。
…、本当はきつかった???
中日。
僕は、家でのんびりしていました。
NHKお昼のニュースには川船の庭先回りが出ました。
これを観て、ぐずついた天候に中止の不安を覚えていたものの、皆さん頑張っていらっしゃると知りました。
夕方になって、浜の町へお出かけ。
浜屋横のスパゲッティ屋さんで夕飯とって、祝い船が廻るのを観ようと大丸前へ向かったところ、時既に遅しでした。
祝い船は鍛冶屋町方面へゆっくり進んでいました。
麹屋町さんの予定時刻まで1時間あったので、一度帰ることにしました。
ところがトラブルが重なり、余裕のとんぼ返りのはずが慌てて戻ってくるはめになり、
麹屋町さんの船廻しにはぎりぎり間に合いました。
西浜の町アーケード入り口電停から長男とアーケードを走って大丸前に駆けつけたときは、
「下がってくださーい!」と女の子の声が繰り返され、船は大丸前に鍛冶屋町側向いてデーンとしていました。
すぐに「ビーーーーッ!」と長采の笛が鳴って始まってしまいました。
間に合って、良かった~。
なかなか下がらなかった観衆に感謝。(スミマセン。)
皆が聞き分け良かったら、間に合わなかったもんね。
ヨッセ、×・×、ヨッセ、×・×、…。
いいですねぇ、大丸前は麹屋町の皆さんと観衆だけなので、
ある意味ピュアなところです。
スピーカーの声など余計なものはありません。
ホーン、ホン、…ズズズズゥー。
鉄輪の音も最高であります。
ん?
あら、短いのねぇ、終わってしまった。
まあ、翌日が大丸前の本番!ということで。
…、アーーア、ヨオイヤセ!
あら、入れ替わりに鯱太鼓さんが待ち構えていらっしゃったのですね。(^-^)'
鯱太鼓が去った後、大丸前で船廻しグルグルの軌跡を確認。
タイルには白い廻した跡が沢山付いていましたー!
これを面白がっていたのが後日災いしました。
長男が家で船廻しを(洗濯籠で)やって、板の間がぼろぼろになるのを面白がったのです。
現在、我が家の川船(洗濯籠)は傷防止のため紙箱を下に敷いています。
ちなみに、船上には農協でもらった赤い金魚の枕が真鯉よろしく乗っています。
中日の大丸前を終えたら、中通りの庭先回りだったのですね。
着いて行かせてもらいました。
岩永梅壽軒さんで采振りさんがビシッとやっているところは、絵になっていて、かっこよか~!
そういえば、中通りの庭先回りのとき、青いはっぴのお姉さんが気になりました。
同じ青いはっぴを着た番号札の女の子達を指示していたお姉さんですが。
あのお方が、エアロビ教官様だったのでしょうか。
僕が知る別のエアロビ・インストラクターは浜口京子さんみたいにがっちりした体格だったので、
あのお方はエアロビ教官のイメージより少しスレンダー。
しかし、HPのお写真にお美しいお顔が似ている。
うーん…、謎です。
僕は、過去にエアロビを音楽消してやらされ、拷問のような筋トレ状態で目を回しそうになった(@_@)ことがあるので、
エアロビ教官様には脱帽です。
そんなこんなで麹屋町事務所まで着いて行かせてもらいました。
事務所前で挨拶を終えた後も、長男の希望でア~、ヨーヤーセ!と公園前まで着いて行かせてもらいました。
庭先回りに着いていくのも、お囃子があって、面白いですよね。
いやいや、お疲れ様。
後日、雨。
午前六時に長男、六時半に次男と、何を思ったか起きてきたのです。
我が家では、驚くべきこと。
朝ご飯を食べながら、迷っていたものの長男次男が早起きしたし
お諏訪さんに川船を観に行くことを決意し、タクシーに乗りました。
迷っていたというのは、切符がないので、ギリギリに行って観られるとも限らなかったからです。
タクシーは渋滞に引っかかってしまい、麹屋町さんの予定時刻8.20はまだタクシーの中。
タクシーを諏訪神社前のバス停付近で降り、電車通りから次男を抱え長男を引き連れて階段を上がると、
停止した川船のトモが見えているではありませんか。
まだ間に合うと思い、さっさとお諏訪さんの左側を上がって、立ち見券を買って(幼児はタダ)、楠下の枡に。
よく見えるではありませんか。
しかも、ちょうど今から廻るところ。
何とも幸運な話。
雨も降っているのか止んでいるのか微妙なところ。
踊り馬場が濡れているのが、ちょっと心配。
ビーーーーーーッ!
長男、次男の早起きに感謝すると同時に、二人の川船観たさの執念を感じました。
三歳の長男は毎度の大喜びですが、一歳の次男も三日間ですっかりくんちばかになり、
抱きかかえられたまま、脚をピョンピョンとさせてヨッセ、×・×、ヨッセ、×・×にノリノリになってしまいました。
とにかく船廻しで上がる歓声は心地良いですなあ。(^-^)v
ヨイヤー!
川船さん、次の船廻しは歴史文化博物館の予定だったので、お諏訪さんでの船廻しが終わったところで僕らは先回り。
実は、八月十日、嫁様、長男、次男と4人で歴史文化博物館にタクシーで駆けつけたのに
川船の練習を観られなかったのです。
正面玄関へタクシーを乗りつけたものの、「おかしかねぇ、どこで廻るとかなぁ。」と首をかしげていたのです。
後日は日銀まで歩いてきたところで、小学生の集団がいて、ぞろぞろ思わぬ方向へ歩いて行くではありませんか。
着いていったところ、納得しました。
歴史文化博物館には、裏にちゃんと廻るところがあったんですね。
館の方に聞けば、そこをイベント広場みたいな扱いにしているとか。
8/10、場所が分からなかったことが本当に悔やまれます。
さて、小学生が広場をコの字に囲み船を待つことになりました。
数校集まったようですが、僕らの横は西山台小学校さんとのこと。
しかし、ここでの演技は残念というか、もったいなかった。
せっかくの機会を、もっと沢山の人が集まれば良かったのに。
また、小学生がおとなし過ぎて。
長采の「オイショーから。」で始まった演技にも、ちょっと観衆の盛り上がりが足りませんでしたよね。
う~む、先生、ちゃんと観衆の準備を子ども達としとかんば。
それより、船廻し、ビックリ!しましたよ。
広場の石張りにくぼみがあったのか、一度鉄輪が引っかかって、船が大きく揺れたでしょ。
正直、倒れると思って僕は恐かったぁ。
でも、皆さん、そんなことは練習で何度もあったんでしょうね、何事もなかったように廻し続けましたね。
いやいや、皆さん、すごい!
練習量がものを言います。
ヨイヤー!
そういえば、歴史文化博物館のときみたいに、網打ちなしで廻すとき、飾り船頭はいつ降りたんでしょう。
長男が日銀前の写真で飾り船頭を指して聞くんです。
「飾り船頭はシートベルトしとっとぉ?」
「しとっよぉ。」と答えましたが、飾り船頭はシートベルトをして乗ったまま船が廻ったんでしたっけ???
後日は、歴史文化博物館を出る頃から、小雨が雨になって来ましたよね。
僕らは新大工町の庭先回りを楽しみにしていたのですが、帰宅しました。
雨は全然止まないし、夕方の大丸前を楽しみにすることとしました。
それまで時間があったので、浦上車庫の電鉄本社へ行って、電車資料室を見学させてもらってました。
(お諏訪さんの踊り馬場、あの石畳は電鉄さんからの寄贈と聞いています。)
今年のくんちは携帯電話の「くんちナビ」があって、各踊り町のだしがどこにいるか知ることが出来、便利でした。
特に、この後日は雨でどこの踊り町も予定が変わったみたいです。
その変則的な庭先回りに気付いたのは四時か五時頃だったでしょうか。
五嶋町さんとどこかは、どうも夕方五時くらいで庭先周りを終えてしまったようでした。
川船のくんちナビも、予定表とは違うような…、と慌てて浜の町へ向かいました。
大丸前に着いたとき、ちょうど川船がDONQ前辺りを鍛冶屋町方面に向かっていて、
え?!もう廻ったのかなと一瞬焦りました。
周辺で情報を得ると、まだとのこと。
浜屋を過ぎて川船を追い越して先回り。
番号札を持ったある女の子に予定を聞いたところ、後で中央橋の方に引き返して廻るんじゃないかとのこと。
親切に教えて下さって、ありがとう!
この女の子がなかなかチャーミングだったので、長男はニコニコ嬉しそうだった、重ねてありがとうございます。
ちなみに、長男は囃子のとある女の子に一目ぼれしてしまいましたー!(>_<)!
「きれいな顔のお姉ちゃん、乗っとったねぇ。」と。
HPのメンバー紹介でお名前は分かったけど、内緒。
そうこうしているうちに、昨日とは逆に鯱太鼓が先に来て、ホーライコ!拍手喝采、ヨイヤー!
で、我々は立つ場所を決めて、川船さんを待ちましたー。
船は鍛冶屋町側から一度マック前を通過して中央橋方面へ。
その後戻ってきて、すぐに廻るのかなぁと思ったら中通り方面へちょっと行って庭先回りやって、観光通りで休憩。
このときからマック前の濡れた石張りを女の子達が雑巾で丁寧に拭き始めましたよね。
いよいよクライマックス。
雑巾がけは、それを迎えるに相応しい演出になっていました。
今から麹屋町の川船が廻りますぞ!と告知しているに他ならず、気持ちが高ぶります。
僕も出来ることならお手伝いしたかったです。
最後に廻ってもらえるのなら、良いコンディションを作る手伝いをさせて欲しいと思いました。
大丸前は好きなんです。
余計なアナウンスもないので、踊り町とくんちばかと野次馬だけのピュアな、ある意味神聖な踊り場です。
観衆はそれぞれが素直な気持ちで掛け声を出します。
しかも、後日夕方の大丸前は、出る方も観る方も皆これで最後だとわかっているので、
遠慮がないというか、思い切りやってもらえる、思い切り楽しめる、ということでしょうか。
うまく言えませんが。
ビーーーーーーーッ!
川船入場、サー、ヨオイヤサ、×、×、サー、ヨオイヤサ、×、×、…網打ちの始まり。
今思い出しましたが、H17魚の町さんかH18船大工町さんはマックをともにして網打ちをやっていましたが、
麹屋町さんは宝石店をさきにして網打ちでしたね。
でも、ビーーーーーーーッ!ヨイサー!
突っ込みは鍛冶屋町方面、これは同じですね。
ヨヤセ、×、×、ヨヤセ、×、×、
この突っ込み、すごいですね。
長采が押さえても、正面にいた人達は恐いのでしょうね。
その緊張感がたまらんとかな。
ヨヤセ、ヨヤセ、×、×、ヨヤセ、×、×、
ゴン、ティキティン、ドンドン、×、ゴン、ティキティン、ドンドン、×、
ホーン、ホン、ホン、…ズズズゥウー
ヨイヤー!
大きな川船がディファレンシャル・ギアなしの鉄輪を装備し歓声に包まれて目前で廻るというのは、すごい迫力です。
ヨヤセ、ヨヤセ、×、×、ヨヤセ、×、×、
船が帰りかけても、皆戻って来てくれると安心してもってこ~い!
ずっと興奮状態、まだまだヨヤセ、ヨヤセ、×、×、ヨヤセ、×、×、…
長采が戻ってきて…、2度、3度、
次第に総監督が観衆のもってこいをあおり、
もう、その晴れ晴れと笑っておられたお顔が、
HPメンバー紹介にある強面の表情とはかけ離れ(ゴメンナサイ)、
至福のとき、これぞくんちをお楽しみの瞬間と申しましょうか、
とにかく総監督は最高の笑顔でした!!!
その笑顔に応え?船は五回ももってこいに応えてくれましたよね。
その間、マック前はずっと興奮に包まれていました。
麹屋町の皆さんには、感謝、感謝、深謝です。
ヨイヤーーーーーー!
大丸前の興奮で次男を抱えビデオを持った右腕はしびれ、
右肩は痛みが走り(お陰様で数日前から治りました)、
長男を抱えた左腕も伸び切った感覚、
顔からは大量の汗が噴き出していました。
川船は観光通で一休み?の後、アー、ヨーヤーセ!と道中囃子でお帰り。
僕ら親子も名残惜しく、麹屋町まで着いて行かせてもらいました。
(すみません、町内の者でもないのに。)
大丸前の大一番を終え道中囃子でゆったりと中通りを帰って行く雰囲気は、何とも情緒がありますよね。
町事務所に着いて、くんちの終わりを実感しました。
役員さん、挨拶が涙声になっていましたね。
計り知れない思いがおありだったのだと存じます。
実際に曳いたり振ったり、その練習が大変だった方、
いろんな調整ごとや折れなければならないことへの精神的苦痛に耐えた方、
皆さん本当にいろいろご苦労があってくんちにたどり着き、町に帰ってきた、というところでしょうか。
お疲れ様でした、ありがとうございます。
迎え提灯も済み、船は格納庫へ。
アー、ヨー、ヤーセ、×、カチ、カチ、カチ、×、…
中通りから、サー、ヨオイヤサ、×、×、…、曲がっていなくなるところまで見送らせて頂きました。
僕は長崎に帰省する立場で、くんちをやってもらえるというのは、踊り町の方々が故郷を守ってくれている、という感覚です。
皆様には感謝です。
浜の町に出る道中何気なく麹屋町を歩いて通ったり、中国菜館慶華園でちゃんぽん食べたり、
今度から帰ったときはくんちのことをいろいろ意識してしまいそうです。
また七年後を楽しみにします。
三歳の長男は、くんちの後、片肌脱いで赤い金魚を乗せた洗濯籠や乳母車を廻す日々、
一歳の次男は船廻しのシーンがテレビに映ると観衆に釣られて小刻みな屈伸で体を揺すり拍手喝采。
七年後は息子達もどうなっているのかなぁと考えるとおかしくなります。
あまり変わっていないかもしれません。
長くなりました。
麹屋町、ヨイヤー!
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- 2007/10/26(金) 17:51:29|
- もとねびきのぼやき
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